王貞治

 2月5日放送の『伊集院光のJUNK~深夜の馬鹿力~』を聴いた。福岡ソフトバンクホークスのキャンプを取材する為に宮崎へ行ったと言う。そして、解説者の川崎憲次郎さんと一緒に王貞治監督へインタビューを行ったと言う。ラジオでは何時もの様に『妄想爆発』で要らない事を言っていたが、その中で『王貞治選手は絶対』の様な事を言っていた。

 伊集院さんは、東京の下町育ちだが、親子、家族揃って『アンチ巨人』で育った。だから、巨人に対して「憎し」はある。しかし、王貞治だけは別、となるそうだ。テレビで巨人戦を見ていても、「王選手が三振しろ」や「デッドボールになってしまえ」とは死んでも言ってはならない。そう、教え込まれて育った、とも言っていた。何となく、気持ちは分かる。私がプロ野球を見る切っ掛けになったのは王貞治選手が本塁打を多数打っていた時だし、そこに、意味が分かっていなくても、興奮していた。私が子供の頃のメジャーリーグ(大リーグ)は、とても遠く、とても大きく、そして、とても強い存在だった。日本人選手がプレーする事は当然、日本人がそれに触れる事すらない時代だった。その様な時代に、やれ、ハンク・アーロンだの、ベーブ・ルースだの記録を抜いたと聞けば、“無条件に”「王貞治は偉大な存在」となる。伊集院さんも、理由は異なるかもしれないが、それに近い感覚は持っていた様だ。

 王貞治好きで有名なのが、爆笑問題の太田光さん。最近は滅多に聴かなくなったが、相方の田中裕二さんが野球好きで、話題が野球になると、「僕より上の世代は『長嶋茂雄』なんでしょうが、僕には、やはり、『王貞治』なんですよ」と言う。そして、「お前(田中裕二さん)よりも、俺の方が何百倍も『王貞治』が好きで、理解もしている」と、半ばネタにはなって居るが、言う。

 さて、太田光さんは昭和40年(1965年)、伊集院光さんは昭和42年(1967年)の生まれ。そして、良く比較される、王貞治監督と長嶋茂雄氏の巨人への入団年と引退した年を見てみると、以下の様になる。
王貞治  入団:1959(昭和34)年 引退:1980(昭和55)年
長嶋茂雄 入団:1958(昭和33)年 引退:1974(昭和49)年

 長嶋茂雄氏が引退したのは、太田さんが9歳、伊集院さんが7歳の時。王貞治監督が引退したのは、太田さんが15歳、伊集院さんが13歳の時。どちらが「より物心が付いていたか」と言えば、それは後者。つまり、王貞治の引退の年である。選手としての記憶や印象が、単純に王貞治監督の方が強い。だから、この2人とも『王貞治信者』になる。ラジオで伊集院さんが、「僕の前後の世代は同じだと思いますが」と言っていたが、正にそう。私は伊集院さんの“後の世代”であるから、私も『王貞治』でプロ野球を知ったと言える。

 中学生頃の印象が強く残ると仮定すると、長嶋茂雄氏が引退した年に中学生であったのはどんな人たちであろうか。1974年に15歳は、1958年生まれの人。13歳は、1960年生まれの人。ここより上の人たちは、長嶋茂雄氏の現役を良く知っている。更に、今に比べて『大人』がプロ野球を見ていたと考えると、ここまでに社会人になっていた人たち、1950年代や1940年代に生まれた人たちも、社会人として長嶋茂雄氏の現役を見ている。回りくどく言ったが、要は、『団塊の世代』の人たちがより強く影響を受けている。実際、長嶋茂雄氏が巨人に入団した頃の子供たちは、挙って『4番』で『サード』を守りたがり、そして、『背番号3』を付けたがろうとした、と聞いている。

 残念ながら、太田さんや伊集院さんは、長嶋茂雄氏の現役を殆ど知らない。よって、もう一人の『プロ野球界の有名人』である、王貞治信者になる。まあ、こんな話は時間が経てばいくらでも出てくる事で、今の人にとっては「王貞治は監督」であろう。私にとっては、「王貞治は巨人の選手で、その後、巨人の『助監督』をやった」なのだが…。この『助監督』も、その内に分からなくなるのだろう。もしかしたら、福岡で卵をぶつけられたのも分からなくなるのかな…。

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