横に長い浜だから横浜

 12月17日放送の『ブラタモリ』を見た。今回の土地は、「横浜」。番組としては、初めての東京以外の土地となった。通っていた大学が横浜にあったし、横浜ベイスターズの試合を見に横浜スタジアムにも行ったことがあるので、割と“勝手知ったる土地”ではある。しかし、歴史も探る番組なので、色々と驚かされた。

 一番に驚いたのは、「横浜」の名の由来。古地図マニアのタモリさんが出演すると言うこともあり、今回も横浜の古地図が登場した。それを見ると、現在の石川町と関内は内海だった。横浜市港湾局のホームページに『横浜港変遷図』が載っており、1859(安政6)年までに新田開発で埋め立てられてはいるが、それまでは完全に内海で、その外に横に長い浜があった。ここが昔の「横浜村」だったそうで、内海側から見ると、横に長い浜だったから、その名が付けられたそうだ。人口が100人だったか、世帯巣が100だったかを忘れたが、どちらにしても小さな村だったそうだ。

 次は、中華街。横浜港は、埋め立てられて作られた。すると、そこに作られた道は碁盤の目のようになる。横浜の埋立地も、その様になっている。しかし、中華街だけ道が斜めになっている。これは、先ほどの横浜村の付け根の部分から埋め立てられたことが理由なのだそうだ。横浜市港湾局の図だと一緒くたにされているが、新田開発もここから先に始められたそうで、そこは付け根の角度に合わせて、道が碁盤の目のように走っていた。それに対して、他の土地は横浜村に合わせられた。だから、他の埋立地の道と中華街のそれは角度が異なるのだそうだ。確かに、行ってみるとあそこだけ道の感じ(角度)が違い、意外と道に迷ってしまう。こんな歴史がそこにあったのは、全く知らなかった。

 最後は、回転台。ここも、関東大震災で被災した土地。当時は煉瓦造りの建物が多く、それが倒壊してしまい、土地は瓦礫に埋もれてしまった。そう言うことから、横浜の土地の“下”には色々な歴史が隠されている。今年3月から9月まで催されていた開港搏Y‐150を行うに際して、土地を掘ったら、横浜港で使われていた回転台が出てきたそうだ。この回転台は、荷物を運ぶための荷台を回転させるもの。別に、蒸気機関車を転回させるものではない。瓦礫の上にそのまま街を作ってしまったことも驚きだが、その下にあるものが割と良い状態で残されていたことも驚きであった。悲しい歴史の裏側にあるものだから、気分は複雑になるけれども…。

 平塚は、要法寺に『平塚の塚』があるから、その名が付いた。しかし、横浜が「横に長い浜」だったのは知らなかった。と言うか、疑問にも思わなかった。そう言うことが知られて、とても興味深い番組だった。そう言う出来の悪い感想文(苦笑)。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック